平成28年3月10日

「 大規模なリフォーム工事の開始です 」

暖かくなったと思ったら 冷たい雨と風が ぶりかえし、前日3月9日のイヤになるほどの雨のなか、
「 果たして 明日からの着工大丈夫だろうか~。。」と心配していましたが、
なんとか天気も保ってくれて 着工の運びとなりました。

来週から 大規模な解体が始まりますので、今日は その前準備「 仮設工事 」です。
縁廊下に仮設のキッチン・ 玄関前に仮設のお風呂etc...

全ての用意を 宮部電気の協力もあって 無事に終える事が出来ました。

来週の解体から 完成まで、また日誌にてご紹介させて頂けたらと思っています。

 

↓ 玄関前に仮設のお風呂を設置。外観は汚れてますが、中は綺麗ですぅ。。

↓ ヤマブキの仮設風呂は脱衣部屋もついており、製品の中では高級な部類です。。一応。。

↓ 居間側の縁廊下に仮設のキッチンを設置しました。

 

「 人に生かされるという事 」

 

今回のお施主様は 足掛け16年ほどの長き間、二世帯に渡るお付き合いとなる 営業所地元のお施主様です。

 

遡る事 16年前。。 旧近江町であった頃です。

何度も何度も かよって ようやく ご商談の機会を与えて頂いた 当時のお施主様に対して、
その時 僕は 雑な対応をしてしまい 大層に叱られてしまいました。

今でもあの時を思い出すと、心の中の顔が恥ずかしくて赤くなります。

 

あの当時、僕はこの建築・営業という仕事に慣れ、心のどこかに 横柄さが出ていたのだと思います。

「 それでは見積もりを受け取りたい 」と仰って頂くことが出来た事で、「もうこのお宅の仕事は頂けた」と安心し、

仕上げた見積もり書を持って 連絡も取らず勝手に訪問し、
お留守であった為に 郵便受けに入れて帰ってしまいました。

 

1時間ほど経って電話が入りました。

施主である、自分の父と代わらぬお歳のご主人様からでした。

 

「 私は あなたという人間を信頼して うちの工事を任せようと思った。
こちらは全くの素人だし、家をなぶると言うことは簡単な金額ではないのが当たり前だ。
それを 何の説明もせずに、ポンと郵便受けに置いていかれて ハイそれじゃあお願いしますと言えると思うのか!
今から きちんと説明しに来い! 」

 

血の気が引いて 車の中を更に走るような気持ちで すぐさま 訪問しました。

 

怒られるのを覚悟して玄関を開けさせて頂きましたのに。。。何故か。。

5分前の電話の時とは全く違い、とても穏やかに笑いながら対応をして下りました。。

実は その時 私は 相当拍子抜けしていました。

今となって解ります。このご主人は 私を息子のように、部下のように、人としてあるべき行動に
正して下さったという事なのですね。。だから 怒鳴り続けなかったのだと。

全霊を込めて 説明し、その日のうちに契約となりました。

 

そのお施主様は、この村では かなり堅い・実直なかただと評判で、
結果 「あの人が工事を任せたのだから、間違いないと思って 」と 、
それから何件も連続して ご近所から隣村まで仕事を頂ける運びとなりました。

 

。。。若い頃は、なんて言ったらよいのか 当てはまる言葉が出てきませんが、
僕には正直 勘違いして生きた年月が 若い頃にありました。

広告代理店に携わった頃「 自分こそが人を喜ばしている」とか 「自分がこの業界を動かしている」とか思ってました。

建築の業界に入ってから、ある程度の知識や経験が身についた頃、その勘違いが「身から出たサビ」として

このように出てしまったのですね。「してあげている」と、心の隅で思っていたのですね。。30台前半の頃でした。

 

40歳を節目として、人間って大きく変わるものだなと つくづく感じます。

こんな僕も 歳を増すにつれて 更に段々と解ってきました。

自分こそが人に生かされている事。人に助けられて この人生がある事。

そして もうすぐ 私も51歳となります。

 

 

このお施主様宅は 以降 世代交代なされた息子様ご夫婦にも可愛がって頂き、
今回の大リフォームまでに 計5回ほどのお仕事を頂戴致しました。

当初のお施主様であるお父様やお母様にも、以降本当に良くして頂きました。

 

お仏壇には お父様の遺影が あの当時の 凜々しいお顔のままで 飾られております。

 

お父さん。。私は あなたに助けられて あなたに生かされて 今があります。

あなた様亡き今 あなた様が建てたおうちを 再度リフォームさせて頂きます。

ありがとうございます。